昨今のコロナ禍の中
連日重症患者が増え
そしてコロナで命を落とす
犠牲者も増えています。
こんな状況ですから
私もあらためて
死について考えてみました。
ところで
あなたは人の死に
“ 正しい死に方 ” があると思いますか?
唐突ですが、
現在 日本の平均寿命が83.7歳で、
仏教では、生きていることと死ぬ事は
一体であるといいます。
生まれた時は、
周囲の人が泣いている赤ちゃんを、
見て笑っているのが
生まれた時の状況です。
一方、死の瞬間本人は
「良い人生だった」と
笑っているのに対して
周囲の人が泣いている状況が
正しい死の迎え方ではないかと思えます。
つまり、自分で後悔なく
生ききったと思っていると
自然に微笑んで
この世を去れると言うことを
私の菩提寺の和尚様から聞きました。
周りの人たちが
「まだまだ世の中に必要な人なのに」や
「大切な人を失った」など言ってくれるのが
最高の生き方であり、
終末なのではないでしょうか。
少なくとも終末に
「死んでくれて良かった」とか
「ようやく楽になった」などと思われない
人とのおつき合いをしておきたいですね。
アメリカでは言葉ではなく、
人の死を墓標に
「愛すべき想い出と共に」や
「私たちの心の中に永遠に」など
故人へのメッセージを残します。
日本の墓には そんな言葉は刻まないので
どんな人生を歩んだのか、
何をしてきたのか
どのように親しまれたのか
知るよしもありません。
それとは逆に、
墓標に言葉を刻むのは 良いこともありますが、
ある意味自分の人生が 人にどう評価されるのか、
批判されているのか 死んでからも
点数をつけられているような怖さもありますよね。
それに、もし日本のお墓に
言葉を刻む習慣があるのなら
“ 何も言葉がない ” というのも
生きていたことを否定されたような
ちょっと寂しい気がします。
それでも自分の墓標に
しっくりくるような言葉が見つかれば
おそらく言葉通り自分の人生を後悔なく
生きられた証拠にもなりますよね。
自分が墓標に刻もうと考えた言葉を
常に意識することで死を目前にしたとき
「後悔しない良い人生だった」といえる
“ 正しい死に方 ” が 私はあると思うのです。
私は墓標に刻む言葉には
生きる目的として、時間、行動、人などを
生きて行く上で大切する重要な意味があり、
後悔が少ない人生を 送れるような気がします。
たった1つでも意識できる
生きる自分の目的があれば
ぶれることはありませんし
それが生きるための
“ 正しい生き方 ” に繋がります。
今は社会情勢によって
自分の生きる目的や楽しみが制約され
生きにくい世の中になっています。
だからこそこの時期に
自分の生涯目標を
「ない」とはいわず
ゆっくり考え前に進むことが
良いのではないでしょうか。
生きる事も苦なり 死ぬ事も苦なり
どうせ苦しむなら
自分の生涯目標を一度立ててみて
前に進むのも生きてる意味を
もたらすものだと思います。
そして、自分の人生ゆっくりと
成長しながら生きていきましょう。
ちなみに・・・
私の生涯目標は
“ 抜かずに治す ” です(笑)
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